「助かってほしい」という思いがあるから・・・

 先週の土曜日に,青年会 という集まりがありました。
青年会というのは,教会の中で大学生以上,大体40代前半くらいまでが所属する世代別の会合です。
 月に1回集まり,自分自身の生活を信心を通して振り返り考えたことや思い,願いなどを話し合っています。毎月担当者がその日に話し合うテーマを出すのですが,今月のテーマは

『信心の継承』

でした。

母も,わたしたち子どもに信心を継承してくれました。私たちが小さい頃,よく「神様にお礼しなさい」「何かあったらお届けしなさい」と言っていました。
※「お届け」というのは,教会におられる先生に日頃の出来事や困ったこと,悩みなどをお話し,先生から御理解(金光教のみ教えに沿ったお話)を頂くことです。金光教の信心の大きな特徴だそうです。

しかし,このブログの動画で話しているように,母は父と出会ってから金光教に出合いました。教会の先生のお話では,「本当に嫌そうだった。」そうです。だから,教会の先生も母が父に連れられてお参りすると,少し苦手意識があったと仰っていました。

そんな母ですが,教会にお参りするようになったきっかけがありました。この話は私も時々母から聞いていましたし,母が生前記録していた信心の軌跡の中にも,信心を始めたきっかけとして書いてありました。

母が教会に自分からお参りするようになったのは,まだ私が生まれていない時のことがきっかけだそうです。

当時は父の仕事の社宅であるアパートに住んでおり,姉が幼稚園くらいの年でした。
同年代の子も何人かおり,一緒に遊ぶこともよくあったそうです。
しかし,ある時から姉が外に出ると周りの友達がいなくなり,一緒に遊んでくれなくなりました。
部屋からその様子を見ていた母はいたたまれない気持ちになり,父に相談。
父に促され,教会にお参りして,教会の先生にお届けしたそうです。

元々,父と母は仕事で東京に住んでおり,姉が生まれたのも東京でした。父の転勤で田舎に引っ越すことなり,社宅に入りましたが,姉の出来事もあり,
「もうこんなところは嫌だ。東京に帰りたい。」とお届けしました。

すると,教会の奥様先生から

「ここで鳴らん太鼓は,どこへ行っても鳴らん」
「腹立てば,心の鏡の曇ること」

という二つの御教えをいただきました。

その次の日から,母は毎日,姉と,まだ小さい兄を背中におぶって教会にお参りするようになったそうです。
私がお腹にいるときには,毎日教会にお参りし,生まれる直前まで洋裁という,衣服の作成の御用をしていたそうです。兄と私は3つ違いなので,この出来事から2年ほど経った時です。短い時間に,信心の素晴らしさを感じたのだと思います。

今となっては,この二つのみ教えをいただいたとき,母がどのようなことを感じたのか。思ったのかはわかりません。
ただ,この姉の出来事をどのように捉え,どのように取り組んでいけばよいのか?
がわかり,心が助かったのではないかと思います。

だからこそ,教会にお参りするようになり,
私たち子どもにも
「教会にお参りしなさい。」
「何かあったらお届けしなさい。」
と伝えてくれたのではないかと思います。

青年会の時に,教会の若先生(教会長の息子にあたる方)が,

「信心を子どもに伝えたい」 というのは
『信心をして助かってもらいたい』 という子どもへの愛情が根底にある

という趣旨のお話をされていました。

ニュースなどを見ていると,宗教が悪のように扱われてしまう時もあります。

しかし,私たち家族は,信心を通してたくさん心が助かってきました。
それは,母自身が,大嫌いだった教会に心を救われ,
信心の素晴らしさを心で感じ取り,
時には厳しく私たちに信心を伝えてくれたからです。

今回は,信心の継承というテーマをきっかけに
母がなぜ信心をするようになったのか
なぜ私たちに信心を伝えようとしていたのかについて考えてみました。

私自身 今は3人の娘がいます。まだ3人とも小さいですが
子どもたちは教会が好きなようで,教会にお参りすると必ず先生方を呼びに行ってくれます。
子どもたちが大きくなった時,信心の素晴らしさを感じくれるように日々願っています。



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