形が無くなったら 来てくれるというところに行ってやる

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久しぶりの更新となりました。管理人のKoです。
昨日は、母が亡くなって一年の一年祭でした。金光教の教会でさせていただきました。
教会の方や友人からたくさんのお花が届きました。ありがとうございました。

今回は、私が最後に母と話したときのことを書こうと思います。

私の兄弟はみんな同じ団地に住んでいるので、母が亡くなって一年のお祭りの後に直会をお店で終えた後、兄の家に集まってお酒をいただいていました。(金光教では、お祭りの後の食事を直会(なおらい)と呼びます。)そのときに、母が亡くなる前、私と最後に会話をした時の話になりました。

亡くなる直前の一月末くらいに、母は入院による治療を終えて退院しました。ですが、肝臓が張っており、かなりしんどそうでした。

そんな中、父は最後の望みをかけて、母を福岡の病院に連れて行き、免疫治療のための採血をしてほしいと話していました。
しかし、母は「もういい」と言い、行きたがりませんでした。

ちょうどその時、私はというと、コロナに感染しており、同じく感染者の出ていた兄の家にお邪魔していましたので、母とは別に生活していました。
そんな私のところに、妻から電話が来ました。
「お母さんが、お父さんの望む治療にいきたくないと言っている。お父さんは言ってほしいと説得しているけれど…」

私はその話を聞いて、すぐに教会にお届けさせていただきました。そして、母の説得に向かうために実家に一度戻ることになりました。

この日は金曜日で、コロナ感染が無かったら仕事に言っている日でした。
母が亡くなったのはこの日の1週間後で、
もしもコロナに感染していなかったら、タイミング的に私は母とゆっくり話すことなくお別れになっていただろうと思います。これも、神様が都合をつけてくださったのだろうと思います。

実家に着いて母と話を始めると、母はもう病院に行く決心をしていました。
しかしそれは前向きなものでなく、父の気持ちを考えての決断でした。
そのとき、母はすでに病院の先生から「もう長くない」と伝えられており、母も、自分でわかっていたようでした。

説得に来たつもりでしたが、母と話したのは死へ向かう母の気持ちの確認でした。

麻薬治療で、意識が朦朧となってもいい、最後は痛みに苦しまず、安らかに行きたい。

そんな母の言葉を聞いて、私の口から出たのは
「金光大神は、形が無うなったら来てくれるというところへ行ってやる」という言葉でした。
金光大神とは、金光教を開かれた方(教祖様)です。
形が無うなったら… というのは、死んで体が無くなればどんなところへでも助けに行くという意味です。

「母さんも、死んで終わりじゃないもんね。形が無うなったら行ってやるって教えがあるもんね。亡くなっても御霊様としての働きがあるもんね。」
このような言葉だったかは定かでないですが、同じ意味のことを話したことを今でも覚えています。
母はうなづいていました。

そして、
「何にも親孝行ができんでごめんね。」と言うと
「一緒に住んでくれただけで十分よ。」と答えてくれました。

これが私が最後に母とした会話となりました。
母が亡くなってから、
まだ小さい娘たちが
「ばぁばが今そこにいるよ。」
「ばぁばが幼稚園に迎えに来てくれたよ。」
と教えてくれます。
昔母が住んでいた東京の友人からは、「声がときどき聞こえます。」と父に話がありました。
近くに住んでいる姉の子も、よく母を見るようです。

色々なところで、母が私たちのために働いてくれているのだと思います。
私たちも、毎日母にご祈念をさせていただいています。

これからも、母は御霊様として私たちを見守り続けてくれると思います。


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