母の日

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こんにちは。
管理人のKOです。

昨日は母の日でした。
母が亡くなってもう3ヶ月が過ぎてしまいました。
あっという間のような、まだ母と過ごした日々が昨日のことのような…。
悲しい思いは消えないし、寂しい思いも消えませんが、
こうして母のことをブログに書いていくと、母の生きた証がちゃんと残っていくような気がします。

昨日は、母の御霊様(金光教では、亡くなられた方を 御霊様(みたまさま)と呼びます。)
にお花を供えました。
母は花が大好きでしたので、喜んでくれると思います。

私には3人の娘がいますが、幼稚園に通う長女と次女は、お花を見たりお花の柄の服を着たりすると
きまって「ばぁばの好きなお花だね」と話します。
私たち家族は毎日教会にお参りして、命をいただいているお礼や、その日にあった出来事や、これからさせていただくことについて「お届け」させていただいています。

お届けとは、教会におられる先生に、言葉で心の内をお伝えし、先生にこれからどうしていくとよいかを教えていただいたり、相談に乗っていただいたりすることです。詳しくはまた別の記事で書かせていただきたいと思います。

家族でお参りすると、必ず長女が
「ばぁばの御霊様が助かりますように」と、お届けします。
親がしているのを見ているからなのか、教えなくても自然にしているので驚きます。

娘の中にも、ちゃんと母の御霊様を思う気持ちが育っているのだと嬉しくなります。

御先祖を大切にすることは、金光教でも金光教でなくてもとても大切なことだと思います。
金光教には
「神は 我が本体の親ぞ。信心は親に孝行するも 同じこと」という教えがあります。
いつまでも親(御先祖)を大切にしていく心を忘れてはいけないなと日々思わせていただきます。
御霊様は、いつも私たちの近くにいて、支えてくださっていると思います。

母が亡くなってからも、
5歳の娘が「今、お父さんの横にばぁばが座っているよ」と教えてくれたり、兄や姉の子どもたちも時折「ばぁばがあそこにいるよ」と話すことがあります。

小さい子どもには見えるとよく聞きますが、
本当なんだなぁ。ちゃんと近くで見守ってくれているんだなぁと実感させていただきます。

「体がのうなったら好きなところへ行き助けてやる」

母と生前最後に直接会話をした時に話した、金光教の教えです。

母は体が亡くなったからこそ、今はいつでも私たちのことを見守り助けてくれているのだと思います。

生かされて 〜金光教の信心を通して〜をもっと見る

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